山川代表からみなさんへ⑧”多摩ニュータウン再生とわたしたちの活動”

早いもので、わたしが都心から多摩に移り住んで40年が過ぎた。

当時は、多摩ニュータウンの建設真只中という時期で、まちは活気に溢れていた。多摩丘陵を切り崩して開拓された居住区には次々と新しい団地が出現し、京王電鉄や小田急電鉄も伸延して、日本最大のニュータウンとして整備が進んでいった。緑豊な計画都市として人気を集め、入居するのに数十倍、時に数百倍の抽選という盛況を呈した。

それから20数年、順風満帆の時を経て、バブルがはじけ、日本経済は長期停滞の時代を迎える。高度成長を支える東京のベットタウンとして計画された多摩ニュータウンは、日本経済の縮図でもある。建設がストップし、人口も頭打ちになって、失われた20年と呼ばれる時代を象徴する存在となっていく。
住民の高齢化が進み、建造物も一緒に年齢(とし)を重ねる。国や都からの資金がストップし、公共施設の更新や高齢者福祉の費用が自治体の財政を圧迫する。

こんな状況を打破し、ニュータウンを再生させるために、まちづくりの専門家集団や研究機関、学者などから多くの提言がなされてきた。管理組合も、すでに再生に向けて大きな一歩を踏み出しているところもある。そのひとつが、諏訪二丁目の再開発計画で、わが国最大の分譲団地の建替えとして脚光を浴びている。5階建て640戸を取り壊して、高層化によって戸数を倍増させ、余剰部分の販売収益により現住人の金銭的負担を吸収して建て替えを可能にするというもので、その裏には20数年間の関係者の気の遠くなるような努力があった。人気も上々で、30歳台40歳台の働き盛りの人たちを中心にすでに完売したと聞く。

ただ、これはあくまでひとつのモデルであって、多摩ニュータウン全体の方向性を示す処方箋にはならない。最近は、都心の中古マンションのリニューアルビジネスが活性化しつつある。耐用年数的にはまだまだ十分使えるものをスクラップにするのではなく、ざん新なアイディアを盛り込んだ思い切ったリニューアルで付加価値をつけて若者を呼び込み高齢者と共存できる新しいコミュニティーを構築するという構想もある。

多摩ニュータウンは、道路、鉄道、上下水道、学校、公民館、公園、商業施設などが計画的に整備され、居住区もバラエティーに富んで配置されて、後付では得がたい基本設計になっている。それらのインフラを核として、地域の実情と住民の意思を活かしたいろいろな形でリニューアルやリプレースをしていけばいい。

諏訪二丁目のような大規模なものでなくても、小さくても多種多様な実験があちこちで多発的に起こり、それが大きな潮流になれば、多摩ニュータウンは再び若者たちを呼び込んで、活気溢れるまちへ変身を遂げるだろう。

そんな多摩ニュータウン再生の流れの中で、地域主導で再生可能エネルギーをつくるというわたしたちの活動は、まちの価値を高めるひとつのパーツとして効果的に組み込まれ、必ず生かされるはずである。